先日、僕の静岡時代の教え子が亡くなりました。
享年27歳。
突然の訃報に驚きつつ、通夜に向かう新幹線のなかで若さを思うと悔しさ、悲しさばかりがつのりました。
会場ではたくさんの方が早すぎる死を惜しみ、所狭しと飾られたサッカーのパネルや写真は故人のサッカーとの深いかかわりを示していました。
人懐っこく、はきはきと堂々と接することができる男で
中学校生活最後の夏の県総体では準々決勝まで勝ち進み、その年、全国優勝するチームを相手に1-2まで追い詰めるほどの戦いを演じ、何度もチームのピンチを防ぐ活躍をしてくれたGK。
地域の選抜チームに選ばれるほど優秀で、高校は強豪校に進むほど力のある選手でした。
私も父親となり、喪主をされたお父さんの気持ちを考えると涙が出てしまいましたが・・・
改めて『死』というものを身近に感じ、自分自身の生活や目指すべきもの、時間は限られているという事を教えてもらったような、心に残る出来事でもありました。
なかなか書きづらいものでもあり、今まで言ってきていませんでしたが
僕は中学時代、なぜか『死』というものに掻き立てられてサッカーに取り組んでいました。
もし明日自分に何か起こってサッカーが出来なくなってしまったら・・・
そんなことを考えながら、ひたすらサッカーに打ち込む中学生でした。
絶対に自分自身後悔したくない、精一杯悔いなくやったと自分が思えるまで
暗くなってもボールを追い、蹴り続けていたのを思い出します。
自分の大好きなものを追い続けること
自分の人生にいつかピリオドが来ること
この全く別のものだと思われる二つのことは、僕にとっては当時、背中合わせの感覚でした。
日々に流されてしまうとどうしても忘れがちなりますが、
哀悼の意を表すると共に、大切にしていきたいと思います。